CIHSでの学生生活 ~知的生活と霊的生活の両面から~

カリフォルニア人間科学大学院
CIHS人間科学博士課程(生命物理学専攻) 森 一仁

二000年一月二日、いわゆる「二000年問題」で揺れた一昨日までの世界中の大騒ぎをよそに私はよく晴れたサンディエゴ空港に降り立ちました。

 それは予てからの私の強い念願である米国はカリフォルニア州エンシニタス市にあります、本山 博先生の創立されましたカリフォルニア人間科学大学院(以下、CIHSと呼称)への入学が決まったからです。

 空港までは大学院のオフィスで総務及び会計を担当されている池原さんが、ご多忙な中をわざわざお迎えに来てくださっておりました。こうして私のCIHSでの博士課程学生としての生活は無事にスタートするに至りました。

 ここに私はCIHSの学生として皆様にその生活についてお伝えする貴重な機会をいただいた訳ですが、その記述にはどうしても私個人のバイアスが少なからず含まれておりますことをさきにお許し願いたいと思います。私はCIHSにある三つの学科のうち、生命物理学を主として専攻しながら人間科学について勉強させて頂いておりますので、その他の学科である臨床心理学や比較宗教学を学びながら人間科学の研究を進めておられる方々とは異なった視点からのエッセイになりますことをご了承ください。ここでは私個人の体験に根ざして報告をすることにより、より生きたかたちでCIHSについてより多くの皆様に知っていただきたいと思います。

 さて、CIHSについて知るようになったのは、私が大学(註・早稲田)の学部学生時代に図書館の中をいつも通り散策していた時でした。私は当時も現在と同じ人間科学を専攻しており、学際(註・〈interdisciplinary〉いくつかの異なる学問分野が関わること)研究がいかにあるべきか、人間の心身の問題をどう解いていくのか、また将来は人間科学専攻という経験を活かして幅広い分野で活躍する学者になりたい、そんな事を考え・思いながら歩いておりました。そのときに、今でも不思議な感覚としてよく覚えておりますが、不意に横から誰かに呼ばれたような感じがしましたので、誰もいないはずの本棚をパッと見ました。するとそこには本山先生の「人間の研究」というタイトルのご本がありました。

 私はそれを手に取り、ページをめくり始めました。当時の私の知りたかった事のほとんどがそこには書かれており、欣喜雀躍してすぐにその本を借りて家にも持ち帰り、読ませていただきました。その時、「こんな素晴らしい、人間の本質にせまる研究をしている学者が世に存在しているのだ、私もこの著者のように幅広い視点と知識や経験を身につけて人間の全体像を描きたい。」、そう素直に思いました。

 勿論、人間科学部という学際的研究を行なう学部に入学するくらいですから、大学入学時にもそう考えてはいたのですが、日本の一般的な大学というのは個別科学の知識を固有の方法論とともに学ぶことがカリキュラムとして定まっており、それは人間科学部といえども例外ではありませんでした。例えば生物学や心理学などの特定の学科を研究する研究室にいったん所属してしまえば、以後は生物学か心理学という狭い学問範疇の中でしか勉強ができない雰囲気があったのです。

 ですからその後だんだんと大学での学問に失望しつつあった私が本山先生のお名前を再度、今度は学部事務所の進路コーナーで発見したときには「私は何と運がよいのだろう!」と、現在ほど信心深くなかった私も本当に神に感謝したい気持ちでした。

 そこで見つけたものが、現在の私のアメリカ留学を決めたと言っても過言ではありません。MIHS(本山人間科学大学院日本センター)の授業内容、そしてカリフォルニアには学位を授与する大学院まであるのだというパンフレットに書かれた二つの記述は、何となく私の心の底にあった不全感を一気に払拭してくれました。

 大学の三年次には研究室への所属が決まりますが、理想を先に見てしまった私は最後まで研究室選び、つまり専攻の選択に悩みました。最終的には大学と大学院でしか学べない学科を選択し、自分のひとつの専攻としました。それは神経生理学です。神経生理学では、文献による勉強のみならず脳の実験というものが大切です。家で本を読んでいるだけならまだしも、生物現象の理解には観察と実験が不可欠ですので、こうした分野を大学に在籍している間に専攻しておこうというのが、当時の私の拙い戦略でした。もしも後に種々の都合で実験室から離れたりしたとしても、少なくとも学部時代の経験くらいは活きるであろう、そんな打算的な考えも働いていたように思います。大学に入ってからも認識論哲学をやろうか、認知科学・認知心理学をやろうか、などといろいろ迷っておりましたので、このような専攻の選択の仕方になってしまったというわけです。

 このように、もともと哲学や心理学、言語学や人類学が好きな根っからの文科系の私は学部では生理心理学と関係づけながら分子神経生理学を学び、大学院ではプロパーな(註・純然たる、固有な)理学系大学院を受験し、そこで比較神経行動学を専攻しました。そして大変幸運なことに、大学の医学研究所で無給の研究員として基礎医学、わけても自律神経科学を学ばせていただきました。ここで研究生でしたら聴講料のような類いの費用が必要なのですが、教授の推薦状を持っていた私は曲がりなりにも研究員扱いという事で無給ですが、一切の費用を負担することなく自由に研究を続けさせていただくことになりました。ここでは今後、実験系人間科学を専攻するという名目で、臨床の医師らと共に行なう実験研究に参加させていただき、自律神経系の機能を心臓血管医学と関連づけて勉強しました。研究室では複数の神経内科医と鍼灸師なども実験に参加しており、微小重力環境下での自律神経系の機能の解析をする、日本ではまだ珍しい航空宇宙医学の研究の現場に立ち会うことができました。そしてこの無給研究員を経て何とか渡米に至りました。

 途中で色々とありましたが、このようにほんらい理数系でもない私がこうしたサイエンス、わけてもバイオメディカルサイエンスの分野で修士レベルまでがんばれたのもどこかでMIHSやCIHSに対する強い気持ち、思い入れ、憧れがあったからだという事はまぎれもない事実だと思います。数学を不得手とし、専ら本だけを読んで文献学の方面で学問をして身を立てたいなどと思っていた典型的な文科の人間だったのですが、ひとたび哲学で言うところの「心身問題」にぶつかり、これを実証的に解きたいという強い願望が生まれてからは、そちらに向かって想いを注ぎつづけてまいりました。そしてその想いをさらに強めたのが、MIHSであり、CIHSであったというわけです。

 私はいま思います。夢は必ず実現できる。自分の想いが人生の羅針盤であり、設計図である、と。どんなに現在の状況が自分の夢を不可能にするように見えても、その先はわからない。このようにして自己実現の旅がこれら本山先生の学校と共に始まったわけです。そしてMIHS、そしてCIHSのパンフレットを初めて手にした時の気持ちを忘れることはないと思います。そうした想いがどこかで常にありましたので、MIHSにおいて本山先生による脳と意識や超意識の講義が二回ほど開かれた折には、聴講生として両方とも受講させていただきました。一回ごとの聴講料は、正直申しまして大学の学部学生の財政事情には多少厳しかったのですが、長い目で見ればたったそれだけの受講費で自分のライフワークとなりうるであろう関連諸分野の知識の真髄が得られるとあって乾坤一擲、気合いを入れて自分自身に投資することに致しました。それが英断であったと、今では懐かしく思えます。

 寺子屋の如く、妙清会館での正座しての授業。学問的にしっかりとした基盤を踏まえたお話を、本山先生は複数の学問分野にまたがってしてくださいました。例えば自分の所属した学部学科で学ぶような、哲学、心理学、生理学、生物学の分野などについて、それぞれの学科間の融合を図りながら包括的に説明して下さいました。

 そしてそのような文献学的・実験科学的な講義に加えて、常人では体験できない種々の現象についての報告がありました。そこには文字どおり真理を探究している本物の人間、本物の学者の姿がありました。日本の多くの学者も、おそらくきわめて真面目に真理を探究しているのでしょうが、問題が神秘的・宗教的な色彩を帯びるようになってくるとそこで研究を断念してしまう方が多いような気が致します。超心理学の取り扱い、生命の起源や進化論の問題、宇宙論における天地開闢の問題、こうした問題を避けて学者が真理を語るふりをするというケースが多いのに対して、本山先生は真理の探求の為、誰にも頼らずご自分で研究所を開き、人間と宇宙の奥深い真理について私のようなごく平凡な普通の人間にも極めて判りやすく説いてくださるということが、とてもありがたく感じられます。

 こうした経験がありましたので、大学院修士時代には民間旅行会社のツアーを利用して渡米し、CIHSを見学させて頂くことに致しました。MIHSの本校にあたるとされる実際の学校はどんなものであろうか?

 カリフォルニア州政府公認の学位が取得できる大学院を創設してしまうという大事業を、さきにMIHSで経験した、どの大学でも聞けないオリジナルかつ学問的レベルの高い授業を講ずるという、それだけでタフな仕事に加えて行なってしまう先生が主宰される大学院及び研究所とはどんなところだろう?

 色々な想いを持って見学させて頂きました。CIHSでは複数の教授によって、こちらの出す面倒な質問にも全部答えていただき、その上学内を文字どおり自由に見学させて頂いた感想としていくつかありますが、なかでも授業を講ずる物理学者達が瞑想をしているのが珍しくない大学院というのが、ちょっと驚きでした。

 こうした積年の種々の想いや経験がありましたので、両親や知人・友人の心配や、抵抗を跳ね除け、CIHSには断固として入学することに致しました。本山先生ご自身も仰っていらっしゃるように、このCIHSという学校は特殊な学校かも知れません。ですが、学びたいことを学べる、そしてそれが知的・霊的に真理に近づけるとあっては、学校が特殊かどうか、卒業後の就職先がどうかなどということは大して問題ではありませんでした。今すぐ真理の探求を止めてしまうというのは、当時の私にとっては死にも等しい重大な問題だったからです。

 さてそんな文字どおり我儘な私が、縁あってCIHSに入れて頂くようになってはや一年が経ちました。正直な感想を申し上げますと、この学校は日本の既存の大学や大学院では決して学べない科目が本当に充実しています。授業中にESP(超感覚的知覚)について語ることもタブーではありませんし、個々の霊的な体験について語るいわゆるサイキックの方々にも多数お会いしました。日本では友だちにかくれて読んでいたニコラ・テスラやクリーブ・バクスター博士の研究、またマントラを唱えたり音楽療法を施した際の、特定の周波数の与える生理学的効果についての研究、生体からの発光現象、トランスパーソナル心理学など種々の学科が思う存分に友人達と語り合え、また学校で学べるというのは数年前の私にはちょっと考えられないことでした。

 逆に申しますと、既存のサイエンスに対するアプローチがまだ少し弱いような気も致します。本山先生の優れた発明の一つであるAMI(経絡―臓器機能測定装置)の基礎研究、バイオフォトン研究などはこれからますます既存のサイエンスに大きなインパクトを与えていくことが確実視される分野ですから、もっと多くの学生を巻き込んで大々的に研究がなされてもよいかと思います。私もCIHSの学生の一員として自分の過去の専攻や学問的経験を活かし、既存のサイエンスといわゆるフロンティアサイエンスとの間に大きな橋渡しが出来ればと思っております。

 ここまで申しますとCIHSをとりまく研究環境を疑問視される方もおられるかも知れませんが、そんな必要は全くございません。CIHSの近くには世界有数の医科学・生命科学系の研究機関がそろっています。ソーク研究所、スクリップス研究所、そしてかのノーベル生理学・医学賞の利根川進博士を輩出したカリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)がひかえています。私もUCSDに通って医学文献を渉猟したり、図書館で勉強したりしています。特にUCSDのバイオメディカルライブラリー(生物医学系図書館)などは深夜十二時まで開館しており、とても便利です。そしてこれらの世界有数の研究機関との共同研究も始まっております。また幾つかの他大学においてもAMIを使った研究や、学位論文の作成が行なわれているようです。

 さて、具体的に私が好きだった授業を挙げてみます。例えばBioenergy Field Research

Applicationというルービック博士の授業について述べますと、名前にはApplicationという言葉がついているということで、生体からのエネルギーの技術的応用をお考えになる方もおられるかも知れませんが、そうではありません。むしろAdvanced、つまり上級のクラスとお考え下さい。学部レベル、あるいは修士レベルの知識や技能を前提として、最先端の知識に触れようという試みだったからです。

 ここではご存知のように生命科学が化学的知識の基盤の上に立って進められてきたことを概観し、生化学や分子遺伝学、そして薬理学などの分野に関わらず、化学反応系として生命システムが解析されてきた過去をほんとうに大雑把に検討しました。そして既存の生命科学へのアンチテーゼとして、ホメオパシーや中国経絡医学についての議論がでました。薬学部や医学部では大切な学科である薬理学の原理に真っ向から反対するホメオパシーという体系。また医学の研究と臨床に不可欠な、局所解剖学の知識を無視したかのように見える中国の経絡医学。どちらも還元主義という狭い考えではおさまり切らない人体という小宇宙のドラマをダイナミックに描いた古くて新しい科学として、既存の還元主義的な生命科学からは洩れてしまうのでした。その上で分子レベルから話を原子・量子・エネルギーレベルへと移して、生体の内外には不可視のエネルギーが充満しているのだということについて、それらをとらえる最先端の計測装置にもふれながら議論しました。既存の物理化学や生命科学の基礎をきちんと踏まえた上でのフロンティア・サイエンスの授業として、とても面白くこれぞCIHSに相応しい授業だと思いました。

 もうひとつはFoundations in  Human Scienceという授業です。学問的には、おそらく「人間科学基礎論」という名称が相当するかと思います。この授業は私が学部時代に常々考えあぐねてきた諸々の事について幅広く多数の学生と語り合う機会を下さったという意味で、個人的には本当に楽しい授業でした。ありていに云えば、人間科学の哲学的基礎について考察を深める授業です。授業の評価はプレゼンテーションでありましたが、私は授業の中で全体論が大切だと云う当たり前の話ばかりして人間科学の基礎論についての建設的・包括的議論が出ないのに痺れを切らしてついに「人間科学の構築」というタイトルでプレゼンをするという暴挙に出てしまいました。

なぜ学際的研究というものがいまの時代において大切なのか、そしてそれは既存の科学の枠組みとどう折り合いをつけていけばよいのか、そしてそれらの学際研究は人間の研究に及んだときに、学問は、科学はいかなる人間像を描き出せばよいのか、そういったことについて新カント派やらドイツの西南学派、フランスの現代思想家などを持ち出して、ヨーロッパ流の人間科学とCIHSの人間科学とを比較検討しながら好きなことをしゃべりました。
欧州の人文主義的教養学=リベラルアーツなどを背景に人文学的な人間研究の総体として、ただ人間に関する思弁的・文献学的な知識が集合している人間諸科学と、心・身・霊という相にまたがってそれぞれ固有の方法論を持ち、それらを統合・整理して説明・体験しようとする古くて非常に新しい知識体系との違いを、歴史的背景・基本思想・方法論・研究対象などを一つずつ、つまびらかにしながら述べさせていただきました。
実は、内容としては大した事は無いのですが、個人的にはなんだかCIHSの背骨づくりを手伝っているようで、とても楽しく受講させていただきました。そしてこのように、現存する人間諸科学を踏まえた上で、我々の新しい人間科学を包括的・全体的に議論をした発表がなかったということで、受講した皆さんから高い評価を頂きました。知識という大海を渡るためのアトラスの一部でも描ければ、そんな想いがほかの皆さんにも伝わったということで心に残った授業でした。他にも東洋と西洋の心理学を比較したり、自らの宗教体験を現象学と精神生理学の知識を用いて紹介する発表があるなど、学生にこのように人間科学について考察し発表する機会を与えてくれたよい授業だったと思います。

 さらにはCIHSへの留学目的の一つである「AMI研究」の授業です。これについてはシェバリエ先生と本山先生のお二人による集中講義ということで、他の授業とはまた違った趣がありました。授業+実習というのも若い学生には魅力的でありました。友人の一人は人体に電極をつけるということで、率先して女の子を被検者に、熱心にAMIで研究?!しておりました。とまれ、私はこの授業を受講するまで、経絡の存在がラジオアイソトープを用いた放射線医学・形態学的研究によって証明されつつあるということについて知りませんでした。この授業をきっかけに、インターネットで経絡の存在証明に関する論文を検索してみましたが、いくつかの論文が発表されていることがわかり、これらを基盤として、AMIがすぐれた医学検査機器として世界の学界から潜在的にではなく公式に認知される日も近いな、そんな気が致しました。そんな日が本当にやって来るまで私も微力ながらAMIの基礎研究に従事してまいりたいと思います。

 世界的に類い希な目的と使命を特長として持ち、これから既存のサイエンスの分野との連携を図ろうとするCIHSにとって、この地はとてもよい場所だと思います。私の知的生活がこうして充実したものになっておりますのも地の利によるところが大きいような気が致します。今となっては医科学分野のサイエンティスト(ヒューマンサイエンティストとでも申しましょうか?)をめざす私にとってはこんな幸運なことはありません。

 幸運なのは学問的環境ばかりではありません。学校のあるエンシニタスの地には西洋にヨガの叡智をもたらした、パラマハンサ・ヨガナンダ師の教会があります。非常に霊的に高いレベルの聖者が教会を建築する程の土地ですから、この地がとても清らかであろうことは、霊的に未熟で素人の私にも明らかです。また、それとあいまってカリフォルニアという土地柄の所為でしょうか、ヨガや瞑想、霊性に関心の高い人々がCIHSにはよく集まります。私もこうした心清らかな、徳のある人々に囲まれ、心身のみならず霊の側面についても、これから真摯に追究し、洞察を深めてまいりたいと強く思うようになりました。人間の霊的な側面について文字どおり無知であった私が本山先生の授業を受講させていただき、また先生や奥様、そして玉光神社の方々と直接にお会いすることにより学問的真理をゆうに超越した真理の道へと導いていただくことになりました。

 このように自分の置かれている知的生活および霊的生活について、それを可能にする環境を考えるにつけ、それは神様に感謝して余りあるものと思っております。今度はわずかでもCIHSと世界の人々にお返しをする番だと思っております。

 私事ばかりで大変恐縮なのですが、この度CIHSにおいて学生セミナーを主催させて頂く運びとなりました。CIHSと、その創立者であられる本山先生の使命と目的を充分に果たせるような組織づくりを進めて参りたいと思います。多種多様な人種と年齢層、専攻をもった学生達が来たるべき地球社会の市民としての意識をもって堂々と行動できるような友情・団結力・仲間意識を育みたいと思います。

 最後に。CIHSにおいて昨今、インターネットを利用したオンラインコースが発足いたしました。現代技術のおかげで、CIHSへのアクセスは格段に便利になっております。日本で過去の私のように入学希望を募らせながら現実には種々の理由でそれが困難と思われる方々でも、日本にいながらにしてCIHSの授業が受講できるのです。これは素晴らしいことだとほんとうに思います。この小文をお読みになった皆様の中からもCIHSの新しい仲間が現れることを希望しつつ、ペンを置かせて頂きます。本当にありがとうございました。

 この場をお借りして、いつも公私に渡りお世話になっている本山先生と奥様、この度副学長に就任された佐藤先生、会計担当の池原さん、さらには常々CIHSにご寄付して下さる玉光神社の皆々様、またCIHSに関係する全ての方々に謹んで深く感謝の意を表したく存じます。本当にありがとうございます。

(註)学生セミナー

 通常、大学院は勿論、学部上級において必須とされる研究室ないし専攻ごとに開かれるオープンディスカッション。自然科学系においては各々の研究テーマに関連する科学論文を読み、プレゼンテーションを行う形式がもたれる。本セミナーは学生間の情報交換と各人の研究能力向上、交流を深める事等を目的に筆者らが中心となってCIHSで主催したもの。