International Association for Religion&Parapsychology
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宗教と超心理  

催眠・宗教・超常現象-

本山 博著

B6判並製 158 頁 定価 2000円   1969年 初版 
 2005年12月8日発行 オンデマンド版  定価 2,000円 

  著者序文

 一 宗教と超常的能力及び心霊現象

 (一) 科学と宗教
       科学の立場 宗教の立場 科学の根底に宗教がある
 (二) 主客合一に達するための宗教的修行法
     ヨガ行法 チャクラヘの精神集中とそれの目覚め 他の精神集中法
 (三) 超常的能力について 
      チャクラの目覚めとその存在に関する医学的検査 超常的能力
      の種類とその存在の科学的実証法 チャクラとの主客合一が
      深まるにつれて超常的能力も変わってくる
 (四) 主客合一と超常的能力の階梯
       主客合一の階梯 心の存在階梯 超常的能力の段階
 (五) 宗教と心霊現象
   超常的能力の段階の続き 心霊現象と宗教 心霊現象の種類
   心霊現象にも段階がある
 結 び

二 東洋宗教における催眠現象と宗教経験

 序
 (一) 催眠現象と個人的無意識
 (二) 宗教経験
    宗教経験の定義 宗教経験の階梯
 (三) 精神集中、瞑想の段階における催眠現象
 (四) 三昧の段階と超個人的無意識、超意識
  (五) 超個人的無意識、超意識と個人的無意識との比較
 (六) 超意識を科学的に実証する一つの試み
 (七) 超意識と自律神経の密接な関係に関する医学的検査
 (八) 宗教経験をもつ人では心身相関が高い
 結 び

三 世界における超心理学の現況

 序
 (一) 心霊研究
     心霊研究発生の歴史的背景 心霊研究 心霊研究の種類
     各国の心霊研究会、超心理学研究所とその研究活動
 (二) 超心理学
      超心理学の出現 心霊研究と超心理学の相違 
      アメリカの超心理学  西欧の超心理学 
      超心理現象の生理的面からの研究
 (三) 霊能者の特徴
     ヨガのチャクラ、道教の瞑想図 チャクラ、霊能、
     内臓器(―自律神経-)の間の密接な関係 脈波、呼吸、
     脳波において示される霊能者、常人、精神異常者の間の
     相違 霊能者と精神異常者のESPテスト結果
 結 び

四 心身相関における非物理的なものについて

 序
 (一) 精神集中の身体に及ぼす影響
 (二) 精神力は他人の身体に変化を起こしうるか
 (三) トニーの超常的能力についての検査
 (四) 心身相関における非物理的なもの


本文より抜粋

宗教と超心理
-催眠、宗教、超常現象-

一 宗教と超常的能力及び心霊現象

 (一) 科学と宗教

 科学の立場
 科学は、人間生活にとって利益のあるもの便利なものを作りたいというふうな、世俗的な動機によって推進せしめられる面をもっているように思います。例えでアメリカに行くのに今より三倍も四倍も速いようなジェット機を作りたい、そして向こうでいろいろ仕事を早くしたいというふうな、非常に世俗的な面をもっている。

またもう一面では、最も科学の本質であるような、純粋な研究というとこもあります。それは自然の真理を追求しようというふうな、純粋な学問的態度だと思うのですが、しかしよく考えてみますと、この世俗的な動機によって科学を進めていく立場でも、純粋な科学の研究の場合でも、共通していることは、或るものを使おうという自分或は研究をする自分、そういう人間と使われるもの、或は研究される対象であるものとがいつも対立をしている。飛行機を使うという場合には、飛行機を私達が使うということですし、飛行機の研究をするという時には、そういう対象について私達がいろいろ研究をするということで、私達の心と、私達が欲しいと思うもの或は研究されるものとが、一応別のものである。

科学の立場というものを簡単に言いますと、客観に対立した、つまり対象或は物に対立した私達の主観が客観の作用とか構造を究明する、そういうところに科学があると思います。客観は、直接にか間接にか、感覚的になんらかの形で捉えられるものでなければ、科学の対象にはならない。例えば私達は誰も心をもっていることを疑う者はありませんが、心そのものを直接には科学は対象とはできない。それは感覚的に掴まえられないから、という訳です。科学はいつでも同じ現象が現われなければ、つまりいつでも同じ結果が現象として現われなければ、それを対象とすることができない。そういう限界もまたもっております。

 こういうふうな、主観と客観が対立して、主観が、私達の心が物を調べていく、そういう場合に働いている私達の心というのは、結局意識である訳です。寝ている間、無意識の間に調べたり研究したりすることはできない訳で、科学の立場或は世俗的な私達の立場というものは意識の立場である。意識の立場というのは、客観とは対立している立場である。そういうふうに科学というものが考えられると思います。

 それならば、私達は常に、日常、意識の立場や主客対立の立場だけで生きているのだろうかと考えてみますと、意識的な主客対立の立場だけでものを判断したり、行動したりしているのではないように思います。意識して行動したり判断しうる部分は、人間の全生活行動から言いますとほんの一部分で、無意識的に、直感的にものを知ったり、判断したり、行動したりすることの方が、はるかに多い訳です。

 -中略-

 科学の根底に宗教がある
 次に、宗教というのは究極者へのかかわりにおいて生きる、つまり究極者を理想として、それへのかかわりにおいて生きるということが言えると思いますけれども、その宗教が科学の根底にあるということをお話したいと思います。

 人間の精神が物になって物を見る、或は主観が客観になりきる、或は主観と客観が合一するということがあるから、その主客合一の状態から出て、自分がそれになっていた、或はなりきっていた客観についてあれこれと反省することもできる、その作用構造についての自覚もできる訳です。もしこういう主客合一の状態がない、つまり主観と客観というものがまったく無関係のものであるなら、私達は目をもっていても、耳をもっていても、自然や社会を見ることも聞くこともできないだろうと思います。つまりは主観と客観とが根底的には一つのものから出てきている、或は根底的には一つのものであるからこそ、主観が客観を対象にし、またそれに対して交渉することができるし、また関係をもつことができると思う訳です。こういう所に、哲学で言えば、弁証法的な主客の関係、心と物との関係が成り立つように思うのです。

ところが科学というものは、そういう弁証法的な主観と客観とのつながり方を、唯同一平面で横の関係からのみ捉え、AはAである、つまり主観は主観であり、客観ではないというような関係だけで見ていこうとします。勢い主観と客観は同一平面で対立したものになります。併し主観と客観が同一平面で対立し、交渉し合えるのは、実はその対立の根底に主観と客観が一つであるような、Aと、Aでないものとが一つであるような世界、宗教の世界があるからであります。この主と客が一つであるような宗教の世界或は主客合一の状態から出てきた主観は、自分がなりきっていた客観について、あれこれその構造なり作用なりについて反省、考察ができる、これが科学の立場だと思います。従って、科学の立場の根底に実は宗教があるのだ、つまり主客合一の立場、宗教があるのだ、そういうものがあって初めて、科学が成り立っていると言えると思います。
 次回は、そういう主客合一の状態に達するためには一体どうしたらいいか、それを促進するにはどういう方法があるかということについて、お話をしたいと思います。

 -中略-

(二) 超心理学

 超心理学の出現
 一九三〇年頃、心霊研究というものを母体にして、アメリカのデューク大学を中心に超心理学というものが作られました。最初ラインさんは、ハーバード大学からデューク大学に来られる時に、所謂霊魂の存続というようなものを何とかして証明しようという意図を持ってデューク大学に来られたのですが、その意図は未だに学問的には実現されていないわけです。どうしてそういうふうになったかというところに、心霊研究と超心理学の相違があると思うのです。先ず心霊研究は、自然に発生したいろいろな事例、現象について研究をします。先程某氏が言われたように、或る日急にふらふらとして何か悪い予感がした、丁度その時刻にお父さんが死んでいたというふうに、或る経験をされる訳ですが、その自然発生的な経験について心霊研究は、例えばそれをテレパシー現象とみなし、研究をする訳です。ところがそういう事例についての学問的な研究というものは、実は非常に難しいのです。右の例の場合、ふらふらした時刻と、お父さんが死んだ時刻が本当に合っていたかどうか、又、ふらふらしたこととお父さんの死がどんな理由で結びつくか、等について考える時、データは某氏の陳述より他にない。陳述は大抵、主観的要素が多分に混入している。客観的データが非常に少なくて経験者の陳述しかない場合、客観的科学的調査は非常に困難になるからです。次に、事例研究が難しいということについてもう少し考えてみましょう。

 事例研究は判定、評価が難しい
 先ず考えられることは、霊能者が霊感で見たものと、現実に実際にあるものとが一致しない場合もあるということです。それから霊感で得たものは、非常に部分的な知識である場合が多いということです。その次に、霊能者がテレパシーとかそういうもので或る対象について知る場合、初めは見当外れの場合も多い、だんだんテレパシーを進めて行くうちに次第に正確に対象を知っていくようにはなるが、テレパシーで知られる内容というものは非常に流動的である場合が多いということです。即ち或る人が対象について正確な報告をする時、霊能者は自分のテレパシーの内容と対象についての報告とが僅かに一致した場合でも、ああ、その通りであるというふうに、対象に自分のテレパシーの内容を結びつけていく場合がある。このような場合、テレパシーで知られた対象の内容と実際の対象とが、どの程度に一致しているか、客観的に評価するのは難しい訳です。
 予知の場合、作為的にインチキをすることもありうると思います。昔、或る宗教の教祖がいて、時代の動きについて正確な予言ができる、あそこへ行けば何でも解るというふうに言われていた。ところがその教祖は、朝起きて新聞が来ると先ずそれを見て重要なニュースの内容のみを予言帳に書き込み、数年前の日時をそれに書き加えて、何時何時予言をしたという体裁にする。そして十時頃に誰か来ると、先ず予言帳を見せ、その後で新聞を見せてこの通りきちんと合うだろうというふうに言う。全くそれはインチキなんですね。併しこのインチキを見破るために、或る人がその教祖宅にスパイとして入り込んでやっとつきとめた訳です。何れにしても事例研究の場合には、右のようなインチキを見破ったり、排除する手段がなかなか難しい訳です。

 それからもう一つ面白いのは、霊能者が実際に或るものをはっきり見ている。或る人の幽霊を見ている。ところがその霊能者が、Aという人を見ているのに、あれはBだというふうに誤認する場合もある。その逆の場合もあります。右のように、実際にテレパシーその他で超感覚的に見ているものと、それの判断の内容とが違う場合がある訳です。

 また次のような場合もあります。或る霊能者がかなりはっきりと或る猿の絵を透視したが、上手に克明に透視した通りに猿の絵を描くことができないで、猿か鳥か犬か解らないような絵を描いた場合、心の中には本当に透視した通りの内容が描かれるかもしれぬが、実際に紙の上に描かれたものと、対象である猿の絵とがどの程度に一致しているか判定することは難しい。

 以上で多くのことを述べましたが、要するにテレパシー、透視、予知が行なわれた場合に、それらの内容と現実の対象とがどの程度に一致しているか、霊能者がテレパシー等によって超感覚的に知ったものについて判断し叙述した場合、叙述の内容と実際に超感覚的に知った内容とが合致しているかどうか、叙述の内容は現実の対象に対してどんな関係にあるか等を判定するのは難しいということを理解していただければ幸いです。

 事例研究では繰り返しが利かない
 事例研究の場合、研究対象である事例は一つ一つが一回きりの現象であって、もう一回やって貰いたいと思っても、繰り返しては起きません。ところが科学というものは、繰り返して起きないと対象にはできない。従って、自然発生的に生じた心霊現象を科学的に研究しようという場合、研究対象が一回きりの現象(事例)であって繰り返しが利かないために、非常に困難になる訳です。これが今までの事例研究を主とした心霊研究には、定型的、科学的な実験法を作ることが非常に困難であった主たる理由であったように思います。

 超心理学的実験法の成立
 そこで、何時でも同じ条件で、繰り返し、誰にでも容易に行なえる心霊能力のテスト、そして結果が量的に計れるようなもの、―つまりこの霊能者の能力は三だ、この霊能者の能力は四だというふうにすると、他の人と比較ができますし、資料の扱い方が容易になります。そういうふうな実験的な方法を作り出そうと、いろいろな人が工夫し努力した訳です。例えばフランスのリセイという有名な科学者、日本では福来博士、その他イギリス等の学者がいつでも繰り返して行なえる実験方法がないかと、いろいろ考えた訳です。だいたいそれが前世紀の終わりから今世紀のはじめ頃、ジェイムスあたりまでの状況だった訳ですが、その後、アメリカのライン教授とか、イギリスのザウレス教授―この方はケンブリッジ大学の心理学の教授で、意識の研究に関しては非常に権威のある心理学者として、日本にもその弟子が大分おられます―、ドイツのフライブルグ大学のベンデル教授等、多くの学者がいろいろ工夫し、改良して、現在アメリカで行なわれているような超心理学のテストが出来ました。これで心霊研究というものが、超心理学という名のもとに一応科学的な実験をできるようになった訳です。

 心霊研究と超心理学の相違
 次に、今までの心霊研究と超心理学との相違のようなものを簡単に述べてみますと、

① 心霊研究では、被験者を霊媒に頼る訳です。霊媒というのは誰でもできるのではなく、非常に数が少ない訳です。それに霊媒の人というのは、なかなか簡単には実験に応じてくれず、やりにくい。それに対して超心理学の場合は、誰でも、どんな人でも、被験者にできます。

② 心霊研究の扱う自然発生的な事例は、繰り返しが利かないために科学的には扱いにくかったのですが、超心理学のテストは、同じ条件で何時でも同じ実験を繰り返して行なうことができます。これが、超心理学の一つの特徴だと思います。

③ 今までの心霊研究の場合は、超感覚的に捉えたものを量的に表現することは、非常に困錐でした。それに較べて超心理学のテストの場合は、後でも説明しますが、超感覚的に捉えられたものが簡単に、量的に扱えるし、他の人との比較もできます。ここでやっと、科学らしいものになってきたように思います。

④ 心霊研究では、超感覚的に捉えたものの量的表現が難しいために、結果の判定が困難である。それに対して超心理学では、超感覚的に捉えたものが容易に量的に表現されるから、結果の判定がやさしい訳です。

⑤ もう一つ、事例研究の場合は、事例研究では判定評価が難しいという項で説明しましたように、霊能者その他が作為的にインチキをする場合に、これを防いだり除いたりすることが難しい訳です。インチキだってできる訳です。ですから紡局、霊能者或は心霊経験をもった人の人格を信頼するよりほかにしようがない。それに対して超心理学的な実験では、最初からそういうインチキが起こらないように、防御策を充分した上で実験を行なうのですから、そういうインチキは起きない訳です。

 以上のところから、科学的研究という観点からだけみますと、超心理学はいろいろな利点をもっているということが理解いただけたかと思います。しかし、自然発生的な心霊現象の研究を長年行なってきた心霊研究を母体にしてはじめて超心理学が出てきたのだということ、及び超心理学は心霊研究が行なっている多くの研究分野の極く僅かのものしかまだ対象となしえないということに、私達は充分留意しなければなりません。

 -中略-

アメリカの超心理学
 次に、アメリカの超心理学の研究の領城とか成果というものについて、簡単に述べてみましょう。
 研究領域
 アメリカの超心理学がとり上げている研究の領域は、まだ心霊研究がとり上げている研究領域の極く一部のものでしかありません。というのは科学的になろうとすれば、インチキとかそうものが入らなくて、同じ条件で何時でも誰にでも繰り返し実験ができ、結果が量的に容易に処理できるようなもののみを扱おうとするからです。

 認知に関するもの
 先ず透視があげられます。今までの心霊研究では、なんでもかんでも、テレパシーというものに非常に重点を置いていたのですが、現在でもロシアの超心理学ではテレパシーに重点を置いていますが、テレパシーというのは、実際は実験方法及び評価、判定が難しいのです。このことについては、次の機会によくお話したいと思います。詳しく知りたい方は、J・B・ライン、J・G・プラット共著『超心理学概説』の該当項を参照して下さい。さて透視ですが、透視の場合には隣の部屋に何か物を置いてこれを透視させる訳ですが、透視実験ではインチキができないようにすることは容易です。そこでライン、プラット両教授は、初期の研究では透視に主体を置いて研究を進めたようです。次に透視とテレパシーを区別せず、両者の混入したものをGESPと呼びます。その次は予知です。テレパシーを含めた四つが、認知に関する研究対象であります。

 テストの方法はどのようにやっているかを、次にお見せしたいと思います。実験に使うのはESPカードで、○十等の印のあるのは表で、裏は右記のように凡て同じ模様です。(図4)各印のものが五枚ずつ二十五枚ある。もし全部○と言えば、二十五枚のうち五枚は○ですから、でたらめでも五点はあげられる。ですから五点あげれば、ESP能力はゼロということです。カードは裏返して置きまして、全然解らないようにしておきます。これは実験のやり方ですが、この部屋はコンクリートの厚い壁で作ってあります。

(図5)真中にも部屋があり、こちらにも部屋があって、被験者は机の前にインターホーンがありますから、その前に坐っている。実験者2が裏返しにしたままで切ったカードの束を、被験者とは別の部屋にいる実験者に渡す。実験者は二十五枚のカードの束を机の上の左側に裏返して積み重ねています。これは透視とテレパシーを区別していないやり方です。一枚めくって表にして真中に置き、インターホーンで合図をすると、向こうの部屋にいる被験者が、実験者の前の机の上に表にして置かれたカードが何であるかを当てる。○だと思えば○と答える訳です。実験者の前の机の上の右側にテスト用紙があり、実験者は被験者の答を書き込みます。

実験者2は、被験者がインターホーンでOと言っているのに、実験者が間違って□と書いたりするといけないので、監視しています。実験者は被験者の答をテスト用紙に書き込んだ後、そのカードを右側に裏返しにして置き、左側からまた一枚めくって表にして真中に置く。以下前回と同じことを繰り返して、二十五枚のカードについてテストをする訳です。

二十五枚のテストがすむと、右側に裏返して次々と置いていったカードを表にして、そのカードの順序をテスト用紙のカードの欄に書き込み、被験者の答と照合して幾つ当たったかを数える。この間実験者2が立会って、実験者の書き込み、照合に間違いないか監視をします。

もう一つのやり方は、二十五枚のカードを裏返しにして実験者2が切って、ケースの中へ入れて蓋をし、実験者に渡す。実験者はそのケースを机の上に置き、インターホーンで被験者に始めの合図を与えます。被験者はケースの中の一番上のカードから順番に次々と当ててゆく。

その答を、実験者は次々とテスト用紙に書き込んでゆきます。二十五枚答えたらケースを開け、実際のカードの順序をテスト用紙のカードの欄に書き込み、次いで答と照合し、幾つ当たったか数えます。実験者2は、テスト中ずっと実験者を監視しています。これは透視テストです。このテストでは、実験者も実験者2もカードの順序を一切知らず、被験者は勿論知っていません。

そして各部屋の間は完全に遮断されており、被験者、実験者はお互に見ることはできません。初め実験者から被験者へ始めの合図が与えられたら、後は被験者の答がインターホーンで実験者に与えられるだけの一方通行です。この透視テストは、インチキを防止する点では最も優れています。

 それから予知のテストの場合は、カードは何も置かないで、向こうの被験者にどんどん言って貰い、それを記録します。その後で実験者2がカードを切ります。切ったカードの順序を、テスト用紙のカードの欄に書き込んでいきます。ですから、切ったカードの順序を当てさせるのではなく、全然何もないカードの順序を、向こうの部屋にいる被験者に言わせる訳です。これが予知のテストですが、能力のある人は、透視の場合も予知の場合も余り変わらない得点をあげます。能力のない人は、五点に近い得点しかあげられません。以上のようなのがESPテストの仕方です。

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