キューバの夢
IARPヨーガ初級指導者 吉村桂充
キューバの朝は、馬に乗ってやってくる。
まだ暗いうちから、枕辺に響くひづめの音。遠くから近づきやがて消えていく軽やかなギャロップ。ここでは馬車が庶民の乗り物。乗り合いバスならず、乗り合い馬車。朝の通勤時間は大いそがし。ドライバーならぬ御者の鞭の先、ひたすら駆けぬける物言わぬ馬たち。これこそ超作と、美しい馬のりんとしたたたずまいに頭がさがる。
日ものぼったころ、ひげをはやした山羊さんの引く小さな箱型の車が町をまわる。子どもたちはそれに乗せられ、ゆられていく。キューバはお伽のような国。
キューバは貧しく、油が買えないからいまだに馬力に頼る生活。車があふれ、ビルの立ち並ぶ日本での日常にくらべると、物質的な面ではずっと遅れていると言えるかもしれない。でもそれを貧しいと言えるのだろうか。私の目には、動物とともに生きる生活は、やさしい愛に満ちているように思う。馬と一緒に、やぎとともに暮す生活がうらやましい。
カリブの赤い島と言われる社会主義国キューバ。その横長な島国のほぼ中央にあるサンタ・クララ市にて、女性の為の国際的演劇ネットワーク「マグダレーナ・プロジェクト」の一環として、フェスティヴァル「マグダレーナ・シン・フロンテラス Ⅳ」… 作劇法と表現 … が、現地の劇団「サンタ・クララ劇場」主催、キューバ国協賛で、一月八日から十八日まで行われ、様々な国の演劇指導者によるワークショップ、公演、インタヴューがくりひろげられました。
私は、二年ほど前からこの「マグダレーナ・プロジェクト」に関わっており、今回も、上方舞(地唄舞ともいう)舞踊家として参加し、舞の公演による日本の伝統文化の紹介と、創作のワークショップ、「作劇法と表現」についての談話を行って参りました。
海外との交流のご縁をいただくたびに、IARPの理念が、私の行動の支えとなり、すすむべき方向を指し示す灯りとなり、道しるべとなっています。そして、人類どうしの調和、自然と人間との共存、すべての宗教の融和、これらを願い、「和のこころ」プロジェクトと名付けて、自身の海外交流活動を行っております。
このたびも、常にIARPの理念を念じておりました。そうすると、そのⅦ「平和で豊かな、愛と信頼に満ちた地球社会の実現のために努力しよう。」、この目標に向かって邁進する勇気と力とが、自ずと湧いて参ります。おかげさまで、このたびのキューバでの活動は、自分でも思いもよらないほどの大きな成功をおさめ、心あたたまるご縁をいただくことができました。つたない文章で、思うことを言い尽くすことはかないませんが、ここにご報告させていただきます。
一月九日、成田を出発した飛行機は、遅れのため、経由地、カナダ、トロントでの乗換便に間にあわず。思いがけぬマイナス十度のトロントでの一泊となりました。おまけに荷物がすべて行方不明。そんな中でも不思議に心の動揺は全くなく、あるがままをおまかせ、カナダの一夜を楽しむ心境。翌日十日のキャンセル待ちで運良く席が取れ、午後八時頃(現地時間)キューバ・ハバナ空港に到着。トロントで行方不明となった荷物のおおかたは発見できましたが、ただ一つ、大事な小道具の傘などをくるんだ包みが出できません。荷物紛失届けを出して外へ出ると、前日から迎えにきていた、大きな瞳のやさしい光をはなつアレハンドロさんと出会うことができました。彼の専門は語学で、英語が堪能です。英語の苦手な主催者達劇団員を長年助けてきました。彼がいなかったら、キューバでの国際的フェスティヴァル開催は、実現不可能だったかもしれません。
ハバナからはまっすぐな一本のハイウェイを東へ東へと、約二時間、夜中の道を突っ走ります。ハイウェイの入り口に、大きな立て看板がありました。世界的に有名な「キューバ国立バレエ」の優雅なバレリーナ達の白いチュチュが、夜の闇の中に静かに浮かびあがっています。キューバ国立バレエは世界でも一、二を争うほどのレベルの高さであると言われています。フィデル・カストロはキューバを国として発展させることに力を注ぎ、文化はその中でも大きな役割を果たすと考えていると聞きましたが、そのことが大きく頷けます。
その後、ハイウェイには、看板は一つもなくなりました。アレハンドロさんが、「ご覧なさい、看板が一つもないでしょう。我が国では看板は、芸術文化、健康、政治に関することのみしか許されないのです。商業用のコマーシャルの看板は立ててはいけないことになっているのです。」と誇らしげに教えてくれました。
キューバの伝統文化のことを尋ねてみると、残念ながら、キューバに伝統文化はないとのことです。約五百年前、侵略してきたスペイン人によって、原住民は絶滅してしまったとのこと。今住んでいる人たちは、スペイン人、アフリカ人、ロシア人が主、一時中国人が大挙して入国したが、最近は少なくなったとのこと。たしかに、今のキューバの人たちは、いろいろな肌の色、顔立ちの人がごくあたりまえにとけ合うようにして、混じりあい、生活していました。
日本の伝統文化に携わる者としては、キューバの伝統文化にふれてみたかったのに、それがないと知り、とても残念。それにしても、殺され、絶滅させられてしまった原住民の人たちの思いは、どれほど辛く、悲しかったことかと胸を裂かれる思いがし、侵略者たちの残虐さに、怒りがこみあげました。
宗教的にはどうかと尋ねてみると、カトリックの教会が多いが、教会には行かない人が多いとのこと。アフリカ系の人々は、クリスチャンになっていても、アフリカの多神教の神々をキリスト教の聖人達におきかえて崇拝しているとのこと。アフロ・キューバンという言葉があり、サルサやマンボなどのキューバのラテン音楽としてよく使われますが、これもアフリカのリズムがキューバに入ってきて、もとは宗教のための音楽として、信仰のために用いられたのだそうです。宗教にしても、音楽にしても、アフリカの文化がキューバに入ってきて融合したものが、今のキューバ文化の一つの象徴なのかもしれません。
威圧的なカトリックの力に屈しない自由さのある国のように思います。
キューバの経済情勢は、社会主義国なため、すべての物資は配給制とのこと。とは言え、昔の中国が人民服一辺倒だったのとは異なり、それぞれに個性的な明るいファッションを楽しんでいます。独裁者の写真が国中に貼られ、思想の枠をはめられているような空気も、見うけられません。ひげのカストロさんの写真などは、どこにもなく、あるのは、今は亡き武装解放闘争の英雄で革命家、チェ・ゲバラのチャーミングな笑顔ばかり。彼の甘いマスクが、お土産店でも、空港でも、いたるところでほほえんでいました。特にここ、サンタ・クララには、チェ・ゲバラが敵の武器を満載した列車を脱線させ、自分たちの革命を勝利へと導くきっかけとなった場所があり、その単線のレールの脇にモニュメントが建てられ、公園となっていました。
ところが、やはり国の規制があるのか、インターネットは一般の人は老いも若きもほとんど使えません。携帯電話は誰もが持っていますが、メールはできません。町に一軒あるインターネット・カフェは観光客用で、キューバの人たちには高くて使えません。ただ公的な機関の事務所ではできるとのことでした。現に、このたびのフェスティヴァル主催者、サンタ・クララ劇団とは、メールのやりとりのおかげで、ここへやってくることができました。キューバの芸術文化を大切にする国策もあり、劇団は国家経営、劇団員は国家公務員、劇場は国の施設なので、その事務所ではインターネットができるらしいです。でも驚いたことに、その劇団の事務所でさえ、コピーはできなかったのです。ワークショップで使う資料として、「さくらさくら」の歌詞をコピーしてもらいたかったのですが、コピーはできないと、アレハンドロさんに首をふられてしまいました。ワークショップ参加者は、みな笑顔で手で書きうつし、「さくらさくら」と声をあわせて歌いました。簡単にコピーをするより手書きの労を経た方が、はるかにゆたかな歌声になったと思います。サンタ・クララ劇団の主宰者ロクサナさんは、「私たちキューバの劇団員はとても貧しい。」と言って眉をくもらせるけれど、サンタ・クララの町中には、歩いて十分位の内に、劇場も大、小、とりまぜて散らばってあり、ワークショップや会議、ダンスをするスペースもあります。小さな田舎の町なのに、随分と文化的施設に恵まれている印象をうけました。劇団員の人たちは、お給金の額は少なくとも、他に仕事をしている人はないようで、少額ではあっても安定した収入があり、芸一筋にうちこめることは、日本の劇団や芸能者、芸術家達の厳しい内情を知る者にとっては、うらやましくさえ思える文化度の高い生活ぶりです。
貨幣は、キューバ国民用人民ペソと、外国人用兌換ペソとがあり、一兌換ペソは、二十四人民ペソで、約一米ドル。なにかキューバのお土産を買いたいと思っても、結構高いものになってしまいます。ラム酒「ハバナ・クラブ」だけは購入しました。これでカクテル「モヒート」を作るつもりです。ミントの葉が入ったさわやかなカクテル、キューバの人たちの大好きな飲み物です。
町を走っている車は、随分と昔のクラシック・カーばかり。それも修理しながら長年使い、つぎはぎだらけのクラシック・カー。クラシック・カーのマニアたちにとっては、キューバへ行くことは涎垂の的かも知れません。
さて、キューバの紹介はさておき、海外での活動においてまず思うのは、世界の中で、日本の個性はどこにあるのか、日本の芸能者としての使命は何かということです。
話は少々それますが、源氏物語研究家・京都女子大学教授の新間一美(しんま かずよし)氏はおっしゃいます。「古代より日本の文化は、神を祀る浄めの文化」。源氏物語は「神を祀る浄めの文学」なのです。世間一般の浅い理解では、「源氏物語」と言うと、とかくただ単に華麗な恋愛模様をスキャンダル風に綴った文学と思われがちですが、紫式部の深い教養と強靱な精神とによって、当時の最も洗練された文化の粋、移ろいゆく自然の美、漢詩や和歌を用いた詩心、そういった極上の文化が随所に散りばめられ、歴史的、文学的な深い洞察によって、俗なる人間社会がこの上なく美しく昇華され、さまざまな人々の喜怒哀楽、生活、社会が、静かにゆたかに光かがやくものへと香り高く浄化されてゆきます。「源氏物語」の文学の世界は、日本文化の最も高貴な結晶と言えるかと思いますが、日本の文化の奥深さは、表面的な快楽や娯楽にあるのではなく、精神的な「神を祀る浄めの文化」であることにあると言えると思います。それは「自己否定の文化」と言ってもよいのではないでしょうか。
欧米では、文化、芸術は自我の主張を目的とすることが多いように思います。ところが、東のさいはての小さな島国、美しい四季の移ろいに恵まれた日本ではぐくまれ、培われ、和をもってまとめあげられた至高の日本の芸術、文化は、世界にもまれな、「自己否定の文化」であり、「神を祀る浄めの文化」なのだと思います。現在私が師事させていただいている能楽師、宝生流シテ方人間国宝・三川泉師(九十二歳)は、常におっしゃいます。「自分を出すことは許されない。自分があってはいけない。自然でなくてはいけない。頭で考えたことは芸ではない。」。この三川師の言葉は、本山先生が常に、「自分の殻を破り、自己否定をしなさい。」とおっしゃることと、同じではないでしょうか。自分を捨てたところに神との合一がある。日本の芸能、芸術、文化は、まさにその神との合一、それをめざしているように思います。そしてすべてをこの上なく清々しく、美しく、幽玄に、簡素に、シンプルな型として磨きに磨き上げました。日本を代表する芸能である能の世界は、まさしく「自己否定の文化」であり、「神を祀る浄めの文化」であると思うのです。私の携わる上方舞(地唄舞)という芸は、能のドラマ性をさらに詩的に表現します。主に女性が築いてきた世界でもあるので、女性ならではの特性をいかした芸能と言えると思いますが、どこかに女性としての甘さがあるように感じ、なんとかそれを払拭し、もっと質の高いものを生み出したいと願う昨今です。未熟な遅々とした歩みではありますが、本山先生の哲学を学び、IARPの理念に沿い、三川師の芸の真髄にふれ、さらに精進して芸を磨き、上方舞を「自己否定の舞」「神を祀る浄めの舞」とし、世界と魂でとけ合いたいと願っています。このことが、わが「和のこころ」プロジェクトの大きな目標のひとつです。
では、フェスティヴァルでの活動をご報告させていただきます。
(一) ワークショップについて。 今回のフェスティヴァルでは、アイルランド、デンマーク、ノルウェイ、アメリカ、コロンビア、キューバ、日本の各国よりの演劇指導者が、それぞれにワークショップを行いました。全部で七組の内一組を除く六組が、同じアフリカの昔話を題材に、三十分ほどの舞台作品を作り上げ、発表しました。
私のクラスには、二十名の生徒が集まりました。内男性六名、女性十四名。キューバ、コロンビア、アルゼンチン、メキシコなど、中南米の若い芸能者、演劇や舞踊を志す人達。
題材は、アフリカの川の女神の物語。
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「オバ」、それはアフリカで最も美しい、若い王女様の名前です。ある日戦いに明け暮れる勇ましい英雄「シャンゴ」が、彼女の目の前に出現しました。ひと目みるなり、二人は恋に落ちました。シャンゴはオバと結ばれることを願い、オバの求めに応じ、しきたり通りに彼女の両親のところへ行き、その許しを求めました。両親は、彼のお気に入りのおいしい料理、仔羊の肉入りのアマラでもてなしました。シャンゴは、とても魅力的な偉丈夫です。勇敢でたくましく、大将としての美点をたくさん持っていました。けれど大変な欠点もあわせもっていたのです。美食家で大食らい、そのうえとんでもない女たらしでその名をはせていました。けれども二人は結婚し、華麗な式をあげ、蜜月を過ごしました。
やがてシャンゴは、永遠の宿敵オッグンとの戦いを開始し、毎日毎日明け暮れ戦闘を繰り返し、夜明けまえに出陣し、夜遅く戻ります。帰ってくると、大好物のアマラに舌つづみを打ちます。オバは、いつまでも、素敵な彼の可愛い奥さんでいたいと思いました。彼の心を永久に自分につなぎとめておきたかったのです。毎晩毎晩、心をこめてアマラを作りました。でもやがて肉が底をついてしまいました。どこにも柔らかな子羊の肉はありません。可愛い奥さん、オバは困ってしまいます。そして、そして、何と、自分の耳を切って、それを鍋の中へ入れてしまいました。シャンゴは、オッグンとの戦いから戻ると、いつものようにおいしいおいしいアマラをたらふくたいらげました。そして、オバをこのうえなくやさしく、やさしく愛撫したいと思いました。そして彼女の髪にかかったベールをとった時、彼はようやく気づきました。オバの耳がない。彼は驚き、どうしたのかと尋ねます。オバは今の料理の中にあったこと、それを彼がすべて食べてしまったことをあかします。
シャンゴは言葉もなく、驚き、さらに恐怖に襲われます。そして、とうとう彼女のもとから逃げ去ってしまいました。その後オバは二度と彼には会えなくなってしまいました。泣いて泣いてあふれ流れる涙に、彼女はとうとう川となってしまいました。やがてその川には、彼女の名前がつけられました。
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ワークショップ指導者の一人、デンマークの大女優、ジュリアさんは、耳を切って料理してしまうなんて、変な話だといいました。私は、この物語に、女の恋情の強さと深情けの恐ろしさ、怪異さとを見て、日本の昔話「道成寺」を思いだしました。そしてジュリアさんに、後世様々な芸能へとゆたかに展開していった、その有名な説話をはなしました。
「修行中の若き僧に恋いこがれ、自分と結ばれることを拒み逃げる僧をどこまでも追い続け、逆巻く日高川に飛び込むといつしか大蛇となり、火を吹き出しながらさらに追い続け、その僧が逃げ込んだ寺の庭に落ちている鐘を見つけると、その鐘をぐるりと七巻きし、紅蓮の炎をふきあげ鐘を燃え尽くす。やがて大蛇が立ち去ったあと、灼熱の鐘の中からは、焼けこげて炭のようになった若き僧のむくろがころがり出ました。」
ひたむきな恋は、おうおうにして真実の愛とは異なるようです。相手を成り立たせようとする愛とは逆に、己の深い欲望、執着からの感情にこりかたまってしまい、その思いは時に人をあやめる程の恐ろしさとなり、やがてその恋を破滅させてしまう。
若いころには誰も恋をするけれど、それはとかく自己愛に過ぎないことが多い。すべてを成り立たせようとする愛の対極とも言えるような結果となることも多い。悲しい人間のさが…
恋心はすべての芸能、文化の源流ともいえると思います。けれど、真実の愛と知恵とに恵まれぬ恋は、時に魔的なものにおちいってしまうこともあります。そのような洋の東西を問わぬ普遍的なテーマともいえる恋心という、人間誰もがかかえる喜び、悲しみ、苦しみ、愚かさ、豊かさを表現し、その情感への共感を誘いつつ、さらにそれを美的に昇華して表現していくことで、人々のカタルシスを喚起し、精神の浄化をもたらすことが、この世に芸能というものが存在する価値といえるのではないでしょうか。
俗なる世界から、聖なる世界へと、苦悩に満ちた人々を誘う架け橋となることが、私たち芸能者のつとめ、そう思っています。
さて、この物語をどう料理して作品としようか。ワークショップの時間は、四時間を四日間。ところが、私はもともと一日遅れの参加の上に、飛行機の遅れでさらに一日遅れたため、持ち時間は四時間を二日間、他のクラスの半分となってしまいました。
そんな状況でも、「神を愛するものは、一切を成り立たせる」(玉光神社 十五条の御神訓第十五条)、このお言葉をお唱えすれば、心を乱されることは全くありませんでした。やがて行方不明の大事な荷物も無事に手元に届きました。
ワークショップでは、具体的に次のように取り組み、IARPの経絡体操法、ヨーガ指導法を中心にして、南インド・ケーララ州の田舎町とヒマラヤ地方とで、サニアーシー(無一物の人)と呼ばれるスワミ(僧)から学んだ、瞑想的、祈り的ヨガ指導法、調和道の丹田呼吸法、古流・直心影流剣道の気・剣・体一致の稽古法などを取り入れさせていただきました。
一、 大いなるものに心を向ける・・・IARPの理念Ⅵ「魂の成長を促す正しい信仰(全ての宗教は同根であることを知り、他の宗教を斥けたり謗ったりしないで共生できる信仰)がもてるようになろう。」、このことを体で感じることをめざす。
- シャバ・アーサナで、リラックス。深くゆったりとした呼吸をする。自分のまわりの大自然、宇宙と一体となる。
- みなの和を尊ぶために、みなで輪になり、手をつなぎ、目を閉じる。まわりの空気、光、風、におい、鳥の声、草のにおい、手と手につたわるぬくもりとひとつになる。今いる場所の中の自分たち全員と、またその輪の内の己自身をみつめる。
すべての命の根源の象徴として、とりあえず太陽を用い、みなで太陽の方に向いて座る。その際、立ち座りも、みなで息を一つにあわせ、呼吸とともに行う。 - 日本の型、二礼二拍手一礼を行う。これも、みなと息をあわせ、呼吸とともに行う。みなの心が一つになり、寸分たがわずぴったりと音があう。とても爽やかな一瞬。
- 以上をみなの呼吸をあわせ、呼吸とともに型を行うことにより、全員の一体感、天地との一体感をもてるように願いつつ行った。
二、 丹田呼吸をする
- 「丹田」という言葉をみなで言ってみる。参加者はみな主にスペイン語を話す人たち。「タンデン」と、とても上手な発音。
- 丹田の位置の確認 自分のおへそから指四本位下のところにふれてみる。
- 調和道の丹田呼吸法を用い、上半身のリラックス、上虚下実の上虚を作る。呼吸とともに肩の上げ下げ、肩回しをし、最後にギュッと力いっぱいあげ、吐きながらストンと落としてリラックス。みぞおちとおへそとの間の緊張をなくし、リラックスできるように、三呼一吸で手を使い、上虚の状態を作る。
- 丹田で、プラーナとクンダリニー・シャクティとが一つとなり、輝かしいエネルギーが充実して、体の宇宙のエネルギー・センターとなることを思う。参加者のほとんどが、時々使うヨガの言葉をちゃんと理解している。
三、 気の流れをよくし、バランスをととのえる
- 経絡体操のうち、パワンムクタ・アーサナ、仙骨・股関節の矯正体操を特にとりあげる。その際常に、一つ一つの動作とともに、深い呼吸と、目を閉じて意識の集中をすることの二つを心がける。また、自分の体の中心感覚をやしなう。ポーズを保つ時間を充分にとり、その間、リラックスをし、深い呼吸をつづける。
- タダ・アーサナを行いながら、背骨の中を天地の気をめぐらし、自分が天地に通じて立っているのを感じる。しっかりとスシュムナを通すことをこころがける。
- 体操のしめくくりは、シャバ・アーサナ。全身の力を抜き、リラックス。吐く息を吸う息の倍の長さで、ゆっくりと完全に吐ききることをくりかえした後、各自の自然なゆったりとした呼吸に戻し、だんだん自分がなくなり、大自然、宇宙と一体となる。
四、 瞑想
- おしり、両膝の三点で、体の土台を作る。
- 丹田に中心をおき、ほかはすべてリラックスする。
- 仙骨をしっかり立ててすわり、背中を自然な形でまっすぐ伸ばし、天地と一体となるような感じで座る。
- 丹田呼吸をしながら丹田に集中。
- アジナに集中。
- 何も思わずおまかせしてすわる。宇宙と一つになるような感じで座る。
五、 呼吸と動作の一致
- 五百年ほど前から続く、直心影流剣道の鍛錬方法を用い、息吹(宇宙と一体となる呼吸法)、真歩(大自然と一体となり、丹田呼吸法で気をおろしながら歩む)といった稽古をおこなう。
- 能の型の稽古、上方舞(地唄舞)の型の稽古を深い丹田呼吸とともに行う。
- 地唄「黒髪」を稽古する。指の先まで繊細でやさしく優美な、日本の美意識を体で感じる。息を足心から地球の真ん中へ向かって吐くような気持ちで呼吸しながら舞う。
六、 創作に取り組む
一から五までの基礎稽古を約二時間半行い、残りの一時間半を作品つくり、創作に取り組む時間にあてる
第一日目は、最初に四つのグループにわけ、約三十分間、それぞれに創作を行う。それを最後に発表しあい、各グループの特徴、魅力などを心にとめておく。
第二日目には、参加者全員で、一つの作品に作り上げていく。前日グループごとに発表しあったものから取り上げたり、新しく創作したりする。ワークショップの指導者としての私は、日本の伝統に培われた表現方法を各所にちりばめ、全体をまとめていく。能、狂言、歌舞伎、文楽、上方舞、これらの和の表現方法を融合して用いた。
また、和の表現方法として、腰を低く落として安定させること、自分を出さないこと、なるべくシンプルにすること、めだたないようにすること、やさしく繊細に優美に表現すること、動かないこと、芯はしっかり通って強靭なこと、静けさを大事にすることなどを要求し、それにはどうしたら良いかをともに考え、指導した。
さらに、ここカリブの国々、ラテンの国々の色合い、個性もとりいれることを試みる。
これらのアイデアは、今思うと、何の苦もなく、次から次へと湧いてきて、二日目にはおおよその形ができあがった。いつも心を向けている大いなるもの(神様)のお力、おかげをいただいていることを強く感じる。頼りない小さな一介の芸能者に、ゆたかな表現を生み出させて下さった。
二日間のクラス終了後、発表を三日後にひかえ、私たちのグループは、早朝六時から約二時間の朝練にとりくむこととなる。発表場所は、広い庭の芝生の上とする。
最後の朝練の時、庭に集合し、本番通りに演じてみる。この時、作品を磨き上げることになるべく時間をかけたいと思った私は、最初の一から五までの礼や、呼吸法などの基礎訓練をとばし、すぐに、六「創作に取り組む」の作業にとりかかった。しかし、ややみなに緊張が走っており、今までのなにかしら楽しく、いきいきとした空気にとぼしい。その日の朝練の時間も残り少なくなったころ、主役「オバ」(ダブルキャスト)の一人が、「先生、いつものようにお祈りと呼吸法をやりたい。」と言い出した。
なんとうれしい言葉。自分が一番大事に思うことを、彼女たちも大事に思ってくれ、心底そのことを望んでくれている。習慣、言葉、歴史、信仰も異なる、異国で初めて出会った人たちが、日本の人より素直に何のわだかまりもなく、大いなる存在を信じ、祈る思いを私と一つにしてくれている。
何年か前、私におっしゃった本山先生のお言葉が、心に響く。「人間はみなつながっているんだよ。魂のところでは、とけあっているんだからね。」
キューバでとけあう私たちの魂。
実は、みなで日本式のお祈りをする時、いくらか遠慮する気持ちが私にあったのだ。自分の信仰を人におしつけることにならないようにしたい。それを彼らの方から、いつものお祈りと呼吸法の稽古をしてから、作品作りに取り組みたいと、望んでくれた。真実を求める思いは、形や言葉の違いを越えて、魂のところでとけあえる。日本の礼の型を南米の彼らが尊重し、何のわだかまりもなく、心一つに日本式のお辞儀をしたいと言ってくれる。
「神を信じよ 一切が成就する」(玉光神社 十五条の御神訓 第七条)この言葉を信じ切り、邁進する意志が弱かったと反省する。
さっそく私たちは、息をあわせて太陽に向かって正座した。私たちの根源は一つ、それは神様、仏様、サムシング・グレイト、すべての信仰の根源、私たちはその根源のもとに一つとの思いをこめ、二礼、二拍手、一礼、心を一つにあわせた。
天地に遍満する息吹をし、真歩をし、大地をふみしめて、改めて、アフリカの王女、オバの物語に取り組んだ。
その後の稽古は、みなの心がほころび、のびのびとした中で進んでいった。
発表の当日、フェスティヴァル関係者、他のワークショップ指導者と生徒達、五十名ほどが、屋外に椅子を持ち出して、芝生の庭をながめ、私たちの発表を待つ。
私たちは、彼らの面前で、まず太陽に向かって一斉に正座をして二礼、二拍手、一礼から始め、丹田呼吸法、全身の気の流れを意識しながらの体操、息吹と真歩とにより、天地宇宙との一体の場を作りあげた。そして静かに「和のこころ」版「オバの物語」が始まり、展開していった。
まず「さくらさくら」の唄による優美な扇の舞、三味線の音とうたによるしっとりとしたラブシーン、キューバの唄と踊りの祝祭、狂言仕立てでどこかユーモラスな殺陣による戦闘シーン、勇者の帰りを待ちわびる女性たちの調理シーン、衝撃的な耳切り落としとその煮込み料理、それとも知らぬ勇者の食事、事実を知った勇者の驚愕と、地唄「古道成寺」の三味線の合方に乗せた必死の逃走、取り残されたオバの嘆きと悲しみ、メキシコの唄による水の流れ、やがてすべてをのみこむ扇の波による川の浄化作用。
やわらかな陽光のもとで展開していった、「和のこころ」版「オバの物語」は、いならぶ観衆の心をやさしく包み込んだ。時に笑いも起こり、楽しくもあり、美しくもあり、悲しくもあり、最後には、人間の普遍的に持つ悲しみが、美しい川の流れとともに、人々の心の中で浄化され、平安に満たされた空気を感じた。誰もが、この作品の余韻にひたっていた。全部で六組の発表の最後を飾った私たちの作品は、愛と調和に満ちたものであったと思う。
マグダレーナ・プロジェクトを主宰するジュリアさんとジルさんのお二人から、称賛の言葉をいただいた。ジュリアさんは、私が初対面のたくさんの生徒を短時間でまとめあげたことに驚いていた。私は、日本のあらゆる伝統芸能の型を用いたことを打ち明けた。日本の型の文化には、長い年月に培われた美と力と調和がある。それらを用いることで、ごく短時間にまとまった作品を作りあげることができる。そして大いなる存在のはかりしれない愛が、演じる者たち、観るひとたちの魂を一つに融合させてくださった。
ジルさんは、とても美しいと言ってくださった。ご自身、哲学的な思索と静かな精神性を感じさせる作品を創られるジルさんのこの言葉は、私にとっては最高の褒め言葉。
彼女たちは、日本の文化の底力を感じたらしく、「私たちは日本へ行かなければ。」と言った。
(二)公演について
二回の公演を行いました。演目は「善知鳥(うとう)」と「ゆき」。「浄めの文化」としての、清らかさと静寂とを大事にし、終演後も余情残心をいつまでも胸にだきしめてお帰りいただきたいと思い、終演後の拍手はご遠慮いただきました。演技が終わるやいなや立ち上がって拍手したり口笛を吹いたり声をあげたりするのが通常のラテンの国の彼らが、舞の最中はもとより、終演後も一切の物音を立てず、静かに息をひそめて、そして深く余情残心を味わい、大事に胸に抱いて味わいつつ家路をたどってくださいました。
(三)「作劇法と表現」と題した小講演
僭越ながら、たどたどしい英語で、次のように述べました。
私たち表現者にとって、技術はもちろん大切です。でも、技術では深い感動を呼ぶことはできません。技術を越えたところに芸があります。技術を越えたその先へ行くには、どうしたら良いのでしょうか。精神的な修養を積み、自分の心、魂を磨くことにつとめることが大切と思います。
敬愛する能楽師、宝生流シテ方人間国宝、三川泉師は常におっしゃいます。「自分があってはいけない。自然でなくてはいけない。考えてはいけない。考えたものは芸ではない。」
この言葉は、尊敬する哲学者で宗教家、本山先生がよくおっしゃる「自分の殻を打ち破る。自己否定をする。」ということと同じことと私には思えます。
お二人がおっしゃるように、自分を出さず、自然のままでいること、自分の殻を破り、自己否定をすること、そのようにしてそこに居ることで、すべての魂ととけあえる表現が生れます。そこには、性別、人種、国、言葉の違いを超えた、魂のふれあいがうまれます。このような自己をなくした表現方法、作劇法を用いて、全世界の人々の魂の深い部分ととけあうことが可能になるでしょう。
私のこの言葉に対して、どのようにしたら自分をなくすことができるのかという質問が出ました。未熟な私にはまだまだこのような質問に答えるだけの力はそなわってはいませんが、本山博先生のお言葉として、「瞑想」「超作」「祈り」をあげさせていただきました。
時間がなく、あまり詳しい説明はできませんでしたが、後日、この時の私の話に関心を持った日本文化愛好の青年からメールをもらいました。彼は、俳句、禅について質問してきました。また、自己否定の精神的修行についても関心があるようでしたので、CIHSのサイトを教えてあげました。彼はさっそくそれを見て、「大変関心があるし、学びたいけれど、私たちにはそれは難しい。」と言ってきました。キューバの閉塞的な暗い面も、彼のまなざしとメールから感じました。
長文となりましたが、会いがたき人々に会い、得がたき機会をいただきましたこと、このうえない幸せに思っております。
日本の独自性、個性を前面に押し出しつつ、その背後に流れる普遍性との一致を追求し、試み、それぞれに成功いたしました。そして、多くの方々の賛同をいただきました。
キューバでの成功をお恵み賜りましたこと、神様に深く感謝もうしあげます。
いつも、大いなる存在、神様へとお導きくださる本山博先生、本部長本山一博先生、諸先生方、厚く御礼もうしあげます。IARPの理念に導かれるままに行ったことが、遠くキューバの地で花開きました。感謝をこめてご報告させていただきます。
今後ともますますのご指導、ご鞭撻のほど、心よりお願いもうしあげます。
(キューバに捧ぐ)
枕辺を遠く近く駆けぬけてもの言はぬ馬は星となりゆく
平成二十六年六月十日
吉村桂充(けいいん)