マンスリー121号
「天国と神界」
1984/2/15 専門クラスより
本山 博
すると、ある日……
「エジプトの死者の書」の第三段階は楽園、つまり極楽になる訳だけれども、神様の方へ向いて神様のエネルギーを頂ける様に朝も夕べもお祈りをするでしょ。
それはね、霊の世界では、この世にいるよりは、その霊的な太陽のエネルギーをふんだんに取るという事は、非常に大切な事のようだね。その為には、太陽にあたるという事も大事なんだね。実際に、光にあたるという事が。だけど心が暗いと、自分の殻がかたいと光も見えないしその光にあたっても光が入らないと思うんだ。
やはり自分の心が、物の力に災いされない様に、例えば、死んで霊の世界にいるんだけれども、生きている時のつらい事とか楽しかった事とか思い出してそれに一つの執着が起きるでしょ。そうするとそれは霊的な成長を閉ざす、つまり物の力の支配の中に落ちる状態をよく作り出すみたいだね。そういう時には、今まで見えていた霊の太陽の光が非常にかすんであんまりはっきりしない様になる。だから霊の光が十分に、太陽の、霊の太陽の光が十分に摂れる様になるには自分がこう霊的に自由で、そっちで目が覚めていないといけない。そうするとねある日突然、でもないんだけれども、そういう霊的な成長が十分に熟して来るつまり、朝も晩もよくお祈りをする、昼間はよく働いてね。
まあようするに、これはエジプトの死者の書だから、その農耕っていうのは、地中海沿岸では、特にアフリカのあの辺りでは、そのナイル川のデルタ地帯って言って、あの辺一帯に農産物を供給する国だったみたいだから、エジプトがそういう意味では恵まれた非常に良い土地だったと思うんだね。いわゆる農耕というのは、王様にとっても百姓にとっても人民にとっても非常に大事な、その生命の糧をうるためにも、そしてまた自分の国の営みの為にも非常に重要だった。
そこで、そのエジプトの霊の世界を見てても、古代のそういうもの、それをそのまま延長した世界のようにも思うんだね。それで霊の世界でも、実際にそういう事が起きていたんだろうと思うんだけれども、そこで、昼間働いて朝は日の出を拝みタベは夕日を拝んで、そしてその屈託がないというか、霊の生活を楽しみながら霊的に純化をくり返して、つまり霊の光を摂り、そして人の為にもなるようにして-その霊の世界では王様とかそういう区別がない訳で、みんなが一生懸命に働いた物を、みんなで共有して、共産主義じゃないんだけれども、みんながそれぞれに食べ物を食べて、霊的な食べ物を食べて、小麦を食べて、大麦を食べて、そして、神様の方へ向いて心を開いて行けば、ある日準備が整うとね、自然に自分の心の中にね-例えば、ちょうど菜食を一年か二年ぐらいすると心はさておいてもともかく体が非常に軽くなりますよね。
やはり心も非常に軽くなってくるんだね。それに至るまでの三カ月か半年ぐらいの間はね、エネルギーがどんどん減っていかにも倒れそうに、死にそうに思う時があるんだよ。それを乗り超えるのにはかなり苦痛だけれども、それを乗り超えると体が非常に軽くなって、いつでもこう気持ちが明るくて神様と一緒にいる様な、もちろん菜食だけじゃだめですよ。坐らないとね。
そこで、さっき言ったように、霊界で祈り働いているとね、それに似た様な状態が霊の世界でも起きて、軽い、明るいそして自由な状態が心の中でも起きて来たら、意識がなくなる時もあるけどね、意識がなくならないで、自然に中空に上って行くんだね。
それはちょうど私達が行をして、アジナが目覚めたり、サハスラーラが開いたら、本当に、こう、アストラルプロジェクションとか、あるいは自分の体の外へ、もっと高い次元へだんだん出て行ける様になるんだよ。その霊の世界の上界でもそれとよく似たような現象が実際に、その普通の霊の世界から楽園の状態いうか、そういう所に行く時に起きるみたいだね。
天国に昇ってゆく
そしてその楽園の状態というのは、つまりカラーナの世界だけど、キリスト教で言ったら、アダムとイブが原罪以前に居たような所だね。人間の始まりであるアダムとイブは、その楽園に居て-人間の、自分だけの知恵にたよって何かをしようと、神様から離れた人間、個人というものを守って、その自分、個人の欲望とか知恵に応じて、いろんなことをしようと、いうふうに神にそむいた、つまり物の力に支配されたような堕ちた状態-それが結局原罪といもう訳だけれど、そうでない初めの、神様と直結した様な状態の人間が実際は楽園に住む資格がある霊だと思う。
その時の状態はね、非常に軽いのと自由であるのと、それから非常に広がった様な明るい感じがする。その世界へ昇る時は、下の霊の世界から体の外に抜けてこう、ずうっと上へ上がって行くのと同じ様な、実際の状態が起きるみたいだね。
霊界でそのように上がって行くときは、その本人達はだんだん上へ上がって行って、下にある木とか川とかをちょうど我々が、山から下の方が見える様に、-つまり、霊の世界でも、自然界をずっと下に見おろしながらね、上に上がってゆく。
ただ、その時にその中空に上って行くんだけど、その時に本当に意識がなくなる時もあるし、なくならないで上に上がって行ける時もあるし、それは自分がどの程度に物の力を克服できていて、自由になっているかによると思います。同じ様な現象が、この間ポワと言って、チベットのリンポーチェが年次大会に見えてそれによると体の外に出て、死者を追いかけて行く、死者を救う為に追いかけて行く。まあそういうのを、私も月に二回ある心霊相談の時にいつもするわけだけど下に降りて行くのは大変だな。暗い所なんだね。上に上がって行くのは楽だね。
そういう現象が実際に起きるとね、いわゆるその楽園に上がれる様に思うんだ。それが第三の霊の階梯だね。夫婦でそういう所に上がって行ければ、ずいぶん楽しいわね。
カラーナの次元では
食べる物って言うのは晋通のアストラルの霊の世界のような形では必要でないからね。そのいわゆる、生命のエネルギーというか、そういうものが直接にいつでも摂れる訳だから。要するにカラーナの次元では苦しみがないという事や、食べるとかそういう感覚的なこととか、想像とかというものに、感情とかというものにわずらわされないで、その生活をただただ楽しむ事が出来る。しかしそれも一つの階梯であって、だんだんと上の世界に上がってゆく、神様そのもの、というよりは、神々の世界に上がってゆけるための、やはりこれは一つの準備の階梯だと思うんですよね。ただ、ここまでの段階までは個人のカルマと言うものが主に働いている訳ですからね。
天国からの再生
ところが、この死者の書にはこの楽園に上がった人達は、来世で自由に生まれ変わることができる、動物になったり、植物になったり、人間になったり、自由に、自分が生まれ変わりたいと思うものになれるという風に「死者の書」には書いてあるんですよね。最初の審判で、あっちへ行くかこっちへ行くか、地獄へ落ちるか、あるいはその天国の方へ向いた方へ行けるかは、自分の生前した行為によって決まる。そういう意味では因果応報と言う事が言えるんだけど、この楽園の住人達がまたその今の現実の世界へ再生をして行く時に、鳥になったりあるいは植物になったり、いちぢくの木のような物になったりね、あるいは人間になったり、それは自分の思う様に欲するようになれると言っている。
それで、それに対してそこがまあ非常にインド的な思想と違う所なんだけど、インドで言われるのは、たとえアストラルの上界にいても、あるいはそれを超えたカラーナの世界にいても、-前生でした行為によって種ができるでしょ、そのカルマが果てたら、また、この世の中に再生をしてくる訳ですけれども、やはりどういう風に生まれ変わりをするかとかどんな風な人間になるかって言うのは因果応報によって、つまりその霊の世界でした事によって、また前生でした事によって、人間に生まれ変わったり、あるいは犬になったり、あるいは動物になったり、植物になったりすると言われている。
ところがエジプトの死者の書の中には、審判に関する限りは因果応報があるけれど、再生の場合にはそういうものがあんまり書いてないですね。つまり審判の場合は生前の因果応報であるが、再生に関してはそれはなくて、好きなものになれると。それは、どっちが本当かという事だけども、カラーナの世界もしくはそれより上の世界になったら、自由にいろんなものに、自分の自由意志によって、自分の再生の姿をとる事が出来るんですけれども、でも、それでもそれはそれより下の次元のカルマの世界を超えているから、因果応報のカルマの法則には従わないんですけどもね、宇宙的なその摂理というものに従って、これこれこういう役目を持って出て来る、という形で、そういう意味ではやはり一つの必然性を持って出て来るように思うんです。ですからエジプトの死者の書で、自由にいろんなもの、になって生まれ変われて出て来るというのは、どうも現実と少し離れているように思うんですよね。実際は、カラ-ナの世界や楽園の世界から再生して来る時にも、因果応報に従うのは、実際は、現実であって、エジプトの人達が考えている様にはならなかったと思うんですよ。
ー後略ー
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