本山一博新会長ワークショップ 2015 第1回
2015年度は、「本山博神学と良心」をテーマに、 新会長の講義と実技指導を織り交ぜた新会長ワークショップを年 3 回開催いたします。
- 第1回目 (3月29日〔日〕):「相互内在と場所」
- 本山博名誉会長の基本的発想を明確にし、難解な「場所論」を分かり易く解説
- 第2回目 (8月30日〔日〕):「モノと精神」
- より良い地球社会の実現とは、単に心の成長だけではなく、 心の成長がモノに現れてこそ意味があることを、本山博神学に基づいて解説
- 第3回目 (11月29日〔日〕):「空と自己否定」
- 本山博神学のキーワードである「空と自己否定」を良心という 観点から解説し、本山博神学の倫理性を明らかにする
どなたでもご参加いただけます。多くの皆様にご参加いただきたく、ご案内いたします。
- 第1回目のテーマ:
-
相互内在と場所
― 本山博名誉会長の基本的発想を明確にし、難解な「場所論」を分かり易く解説 - 日時:
- 2015年 3月29日(日)
12:00 ~ 16:00頃 - 受付:
- 午前 11:30 ~
- 会場:
- 妙清会館(玉光神社内)
- 講師:
- 本山一博会長(CIHS(カリフォルニア人間科学大学院大学理事)
プロフィール
【新会長からのメッセージ】
本山博神学には、ある重要な前提があります。それは、本山名誉会長にとって余りにあたりまえの前提らしく、名誉会長はそのこと自体を取り上げて論じることもなければ、そのことに名前を付けることもありません。そこで、私はそれを特に取り上げ、名前を付けました。それが「相互内在」です。
難しく言えば、「aとbが何かしらの関係を持つということは、aの中にあらかじめbが内在し、bの中にあらかじめaが内在しているから可能なのである」ということであり、分かりやすく言えば、「あなたと私が出会い、そして関係を持てるのは、私の中に予めあなたがいて、あなたの中に予め私がいたからなのです」ということになります。
いずれにせよ、この奇妙な論理こそ、本山博神学全体を読み解くカギになるものなのです。今回は、「相互内在」と場所論の関係をお話しします。
【第1回目 「相互内在と場所」の実技指導(ワーク)】
場所を感得する瞑想を中心に、幾つかの瞑想の実技を指導します。
<時間割予定>
11:30 | 受付 |
12:00 ~ 13:20 | 新会長講義 |
13:20 ~ 13:30 | 休憩 |
13:30 ~ 14:00 | 経絡体操法(指導:本部講師) |
14:00 ~ 15:20 | 新会長ワーク (場所を感得する瞑想を中心に、幾つかの瞑想を実習) |
15:20 ~ 15:30 | 休憩 |
15:30 ~ 16:00 | 質疑応答 |
- 【註】
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- 上記の時間割予定は、進行の目安です。当日、調整させていただく可能性もあります。
- 昼食のための休憩は設けていませんので、12:00開始までに食事を済ませ、ご参加ください。 IARP本部1Fおよび図書室に、軽食をとっていただけるスペースを設け、お茶もご用意しますので、ご利用ください。
- 【ご用意いただくもの】
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- 筆記用具
- 靴下(五本指ソックス推奨)
- トレーニングウエア(行に相応しいもの)
(会場の床は絨毯ですので、ヨガマットは不要。その代わり、衛生面を考慮し、五本指ソックスを着用してください)
- 【講習費(テキスト代を含む)】
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IARP正会員・玉光神社信徒: 12,000円 〔3回受講券 30,000円〕 IARP購読会員・一般: 15,000円 〔3回受講券 39,000円〕 〔註〕 3回受講券は、ご予約の上、第1回目受講前にお支払いください。お支払い後の払い戻しはございませんので、 あらかじめご了解ください。講習費は、当日の朝、お納めください。クレジットカード等でのお支払いはできません。
- 【テキスト】
- テキストは、当日の朝、お渡しいたします。
- 【定員】
- 50名(定員になりましたら、受付を締め切らせていただきます)
- 【懇談会ご案内】
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ワークショップにご参加いただいた皆様と新会長・本部講師との懇談会を、 ワークショップ終了後に企画させていただきます(約1時間を予定)。 参加費は無料。茶菓子を準備させていただく都合上、予め、出欠をご連絡ください。
- 【取得できる単位】
- このワークショップを受講されますと、IARPヨーガ指導者および経絡体操法指導者認定更新のための単位が4単位取得できます。また、ヨーガ初級指導者および経絡体操法指導者養成課程の単位が2単位取得できます。
I.A.R.P.で指導する経絡体操法・呼吸法・坐法の取り方等の基本を習ったことのない方・基本を復習したい方のために、 ワークショップ前に基礎クラスをおこないます。 新会長ワークショップ前に身体や気を整えると、新会長ワークでの瞑想がおこない易くなります。 以下の基礎クラスも、新会長ワークショップと併せ、受講されることをお奨めいたします。
日時: | 同日 | |
受付: | 9:00 | |
指導: | 9:30 ~ 11:30 | |
会場: | 妙清会館 | |
指導: | 本部講師 | |
講習費: | IARP正会員 | 2,000円 |
IARP正会員以外 | 3,000円 | |
指導内容: | 経絡体操法の基本、パワンムクタアーサナ、 仙骨・股関節矯正体操等の基本運動、正しい坐法の取り方、丹田呼吸法 |
【3/29の第一回目ワークショップにご参加いただきました皆様のご感想】
私が本山博名誉会長の著作にはじめて出会ったのは、今から20年以上前の1990年代の前半です。当時、学生だった私は、佐保田鶴冶先生のお弟子さんの主催するヨガ教室に通っておりました。ポール・ゴーギャンの絵(米国ボストン美術館所蔵)の題名でもある「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」という根源的な問いに対する答を求めて、日々過ごしていました。その探求の途上、書店で名誉会長の著作に巡り会い、惹かれるものがあり購入させていただきましたが、当時の私にとっては非常に難解でした。
その後、就職と同時に大阪に移り住み、あっという間に20年が過ぎました。2012年のはじめに、ふとしたことがきっかけで名誉会長の著書を読み返す機会があり、その内容の奥深さに驚嘆しました。そこには、ご自身の瞑想体験、及びAMIなどの測定器を用いた実験結果を踏まえて、我々人間を含む宇宙(=現象世界)が多重構造を成していることが、明瞭に記述されていました。直ちに、『超感覚的なものとその世界』『神秘体験の種々相Ⅰ』『神秘体験の種々相Ⅱ』『場所的個としての覚者』などの書籍を購入し、熟読するとともに、同年6月にIARPに入会させていただきました。
入会と同時に、同年6月、7月、8月、10月に大阪で開催された本山一博会長(当時 玉光神社 権宮司)の連続ワークショップに参加させていただきました。このワークショップの主題は、「講義・瞑想ワーク・対話を通じて、『観る自分』を強化して確立していく。そして本山博神学の根幹である『場所的な神』のイメージを体感していくことから、自己と世界、その関係を見つめ直します。」というものでした。毎回、充実したテキストが配布され、講義・瞑想ワークの後、各自が得られた気付き・感想などをテキストに書き込み、参加している皆様と共有するという進め方でした。大阪での連続ワークショップを通して、自分自身の「超越者観」「世界観」「基本的価値観」の理解を深められた様に思います。ワークショップ後の懇親会にも、もちろん毎回参加させていただき、会長の厳しさの中にも親しみのあるお人柄に直接触れることが出来ました。
大阪でのワークショップの他、同年以降、東京で開催された幾つかのワークショップにも参加させていただきました。その当時から、会長は、本山博神学を凡人である我々に分かり易く伝えるにはどの様にしたら良いか、ということに常に心を砕かれていらっしゃいました。
前置きが長くなってしまいましたが、私にとって、本年度の「本山博神学と良心」をテーマとしたワークショップは、上に書かせていただいた流れの延長線上に位置付けられます。第1回目の今回は「相互内在と場所」というテーマでした。「相互内在」という用語は、本山博神学を理解するための前提となる重要な概念を意識化するため、現会長が命名されたものです。「相互内在」の概念の説明として、「aとbが何かしらの関係を持つということは、aの中にあらかじめbが存在し、bの中にあらかじめaが内在しているから可能なのである。」という記述がワークショップの案内に書かれていました。この説明を読んでも、物理的次元の物質世界に専ら意識がフォーカスしている我々の通常の論理では、「?」という他ありません。今回のワークショップは、この難解な「相互内在」の概念(論理構造)と「場所」との関係を、講義(聴講・質疑応答)と瞑想ワークを通して探求するというものでした。
講義は、「主客合一の体験」の説明からはじまりました。今回のワークショップでは、同一次元(=階層)の存在(例えば、花)との合一体験(「横の合一」)について問題にするとのことでした。「自己」に還元されない存在(=自分とは別の身体を持つ存在)である「他者」を「自己」の内側にリアルに体験すること、という通常の物理的次元では成立し得ないこの体験を、一体どの様に理解したら良いのか? という問いを出発点として、会長は、用語の意味内容(概念)を明確に定義された上で、難解な論理構造について、丁寧に順を追って説明してくださいました。
まず、「他者」(例えば、花)を「自己」の内側にリアルに体験するには、「自己」の内に「花(他者)」が元々存在しなければならないが、「モノ」としての「花(他者)」が「自己」の内側に存在していることは有り得ない。では、「花(他者)」の一体「何が」元々存在しているのか?「モノ」でなければ「精神」であろう。「花(他者)」を「花(他者)」たらしめている「精神」が元々「私(自己)」の中に有り、「私(自己)」がその「精神」に目覚めたときには、「花(他者)」を枯らすことも、咲かせることも出来るであろう。この考え方の延長で、自分の意識の対象となる全てのもの(「花」にも「机」にも「ホワイトボード」にも)なり得る何か(「精神」)が、「私(自己)」の中にも「花、机、ホワイトボード(他者)」の中にも内在している(「相互内在」)と考えるのが自然であろう。この、全てに成り得て、全てのものに内在しているもの(「精神」)を本山博神学では「場所」と呼ぶ。
次に、次元(=階層)の異なる「二つの精神(心)」について、名誉会長の著書『超意識への飛躍』の記載内容を引用しながらの説明がありました。「心と対象とが合一できるようになったということは、その根底で、主観(心)が、主観(心)と客観(対象)とを支えているような一つの場所になったということなのです。」(P.128)「心と対象とが重なることは、一つになることではない。一つになるということは、この二つ(心と対象)を包んでいるようなものがあって、この二つを支えていて、心にもなっているし、対象にもなっているような何かがある。(そういうものが)なければ、心と対象とが関係をしたり、心と対象とが合一することはできない。」(P.129)「通常の精神」の次元で自己(主観=心)が花(客観=対象)を体験した場合、合一は有り得ないが、「場所としての精神」(=心と対象の二つを支えていて、心にもなっているし、対象にもなっているような何か)の次元になった場合に合一体験が可能となる。「場所としての精神」は、心と対象の二つを支えているものとして存在し、同時に自己の心(=「通常の精神」)の中にその丸ごと全てが入っている。
講義の後、本部講師の先生方による経絡体操のご指導、会長のご指導によるワークが行われました。会長のご指導によるワークでは、「想像力を使った瞑想」、「身体の力を抜く瞑想」「呼吸・お腹・心臓・生命を観察する瞑想」を行った後、「脱構築の瞑想」を行いました。「脱構築の瞑想」というのは、これまでの経験と知識によって形成された思考、イメージ、言葉、感情などの「通常の精神(=心)」に構築されたものを心の中から追い出し、身体(五感)だけを感じる様に注意を向けるというものです。「脱構築の瞑想」の後、玉光神社の境内に移動し、自然をどの様に感じるか? を皆で体験しました。
会長のご指導によるワークの前後に、「合一体験」の分かり易い例として、指揮者-小澤征爾氏の著書『ボクの音楽武者修行』の「ミュンシュの思い出」に書かれている小澤氏の体験について説明していただきました。「ぼくが最初に彼の指揮する演奏を聞いたのは、パリのシャンゼリゼ劇場だ。その時はモーツァルトの『嬉遊曲(きゆうきょく)』とブラームスの交響曲を指揮した。モーツァルトはぼくがはっとするほどすばらしかった。そのナイーブで若々しい音の美しさがひたひたとぼくの心に溶け込んで、まるで今までのぼく自身がどこかに消えてなくなるようだった。その瞬間、劇場の中には、ぼくもモーツァルトもミュンシュも何もなく、ただ美しさだけが充満していた。ぼくはその後も時々その時の感動を思い出しては楽しんだものだ。」ここで、「ぼくもモーツァルトもミュンシュも何もなく」というのは、「名前を付けることによる認識方法=世俗の精神=『通常の精神』が停止したこと」を意味し、「ただ美しさだけが充満していた」というのは、『通常の精神』が停止した状態で、肉体を通して「モーツァルトの曲を美しくさせている『普遍的な精神』(とはいっても、モーツァルトの曲という『個別の精神』)が小澤氏に働きかけたこと」を意味するとのことです。また、「その後も時々その時の感動を思い出しては楽しんだ」ということから、「『場所としての精神』と同時に『通常の精神』が働いていたこと」が分かるとのことです。
ワークショップ参加中に、昨年12月に放映されたSWITCHインタビューという番組を思い出しました。この番組には、1999年に大峯千日回峰行を満行された塩沼亮潤大阿闍梨が出演されていました。大峯千日回峰行というのは、奈良県吉野山の蔵王堂から大峯山山頂の山上ヶ岳までの片道24km、標高差1,400mを1日1往復するという荒行で、毎年5月3日から9月22日までの約4ヶ月間に120日歩き、9年がかりで千日行ずるというものです。番組の中で、塩沼大阿闍梨は、行の五百日を過ぎた頃から、朝(午前零時半過ぎに)、行に出かける際、山の「風の匂い」あるいは「雰囲気」で、今日は何時頃に雷が鳴るかがわかり、天気予報を見なくても日本に近づく台風の進路がわかる、というお話をされていました。番組を見た時は、「ほんまかいな?」と常識で判断していました。しかし、今回のワークショップに参加し、「脱構築の瞑想」をした後、境内に出た際にかすかに感じた、周りの木々が自分に働きかけてくる感覚などのことを思うと、そういうこともあり得るかもしれない、と思える様になりました。
今回のワークショップを通して、感情、イメージ、概念、推論、思考、言葉の様な「通常の精神」の働きが押さえられた状態で、感覚・肉体に精神を集中し、それらを通して対象(=「他者」)に真っ直ぐに意識を向けることで、「場所的な精神」が「通常の精神」に働きかけてくる(「他者への窓としての身体」)、ということを自分なりに理解・体験することができ、嬉しかったです。本年度予定されている会長の3回連続ワークショップ、次回以降も楽しみにしております。
最後に、今回のワークショップでご指導頂きました本山一博会長、本部講師の先生方に心より感謝申し上げます。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
(N.K.大阪府)
世の中の不条理な事象はどうして起きるのだろう、という感傷的な思いに長い間駆られてきました。色々な本を開いてみましたがお腹にスッとおさまるような理解は得られませんでした。そういうなかで本山博前会長のお話を聞く機会を得て、答はここで見つかるかもしれないという思いが心底から涌いてきました。そのことがきっかけでご縁をいただくことになりました。
本山一博本部長(現会長)によるワークショップは2012年から参加しています。前会長のご本は以前から読ませていただいていますが難解なうえ、きちんとした体系的な学習ができずにいました。新会長による本山博神学の論理的アプローチと実践的体験をテーマとした一連の研修はまさに機を得た貴重な経験となり、とても感謝しています。テーマのひとつひとつが非常に深遠で重いものなので僕の理解は今でも浅く、薄明かりのままですが、心の中には何かが少しずつ蓄積されているような気がしています。
今回のワークショップでは「相互内在と場所」というテーマでしたが、まさに本山博神学の中心を占める重要な概念のひとつだと思います。「主客合一とは主体と客体の両者を包み込み、両者が共に成り立つ『場所』の意識に近づく行為である」という論理は、根本に「相互内在」という本質的真理があってのことだと理解しました。そのうえで、「主客合一」を通じて到達された「場所」―精神の純化―という心の位相がまさに「倫理性」(愛)が生み出される母体となるのではないかと思います。そしてこれまでの研修を通じて実感させていただいたことは、霊性の成長や進化という究極的な思想はこの「場所」という普遍的な概念と切り離しては成り立たないということでした。
いくつもの極めて大きなテーマを前にしてまだ亡羊としている自分がいます。これからも多くを学び研讃を続けたいと思いますのでご教示を宜しくお願いいたします。
(M.M.栃木)
アクセス
IARPへの地図 |
JR吉祥寺駅から、徒歩10~15分 吉祥寺南口を出て丸井右脇の道を直進すると井の頭公園に入ります。池の中央の橋を渡り、池を左手に見ながら公園の中を70m程歩きます。 中央に手すりの付いた11段の階段を上がって下さい。最初の十字路を右に曲がって10m程歩きます。 |
京王井の頭線 井の頭公園駅から、徒歩 5~10分 駅を背にして右手の道を歩くと公園の中に入ります。池を右手に見ながら20m程歩きます。 中央に手すりの付いた11段の階段を上がって下さい。最初の十字路を右に曲がって10m程歩きます。 |
駐車場がありません。、当日は、車以外の手段で会場までおこしください。やむを得ない事情で、車でご来場になる方は、予め、ご自身で駐車場をお探しください |
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