今年6月のIARPワークショップでは、御神言に本山博初代会長がどのように応答し、それによって本山博神学がどのように展開したかを、『啓示された人類のゆくえⅠ・Ⅱ』に沿い、年度毎に順を追って、お話ししました。
本山博神学の変容といっても基本的な論理構造が根本的に変わるわけではありません。ただし、実践論につぎのような変化が生じたということは言えます。
- 霊的進化のためには智慧よりも愛の方が重視されるようになったこと
- 智慧から愛へと軸足が移る過程で、実践論においても「超作」が重視されるようになったこと
- その過程で、超作の内容も、行為になりきることによって自己否定をするというあり方から、相手が成り立つように神の意思を実現する愛の行為へと変容していったこと
この三つの変容は、それに先立って必ず御神言があるということ、そしてまた、この三つは別々に進行していったのではなく、内容的に深い繋がりがあることもお話ししました。
智慧から愛へ、瞑想から超作へ、超作概念の変容を根底から支えているのは、本山博神学の三位一体説です。初代会長は、創造神は、超越者であり、内在者であり、働きであると三つの側面から捉えました。この本山博神学の三位一体説は、「梵我一如というインド哲学的感性」と「キリスト教的感性」を併せ持っています。また時間感覚においても、「生じては滅び」「滅びては生じる」という循環的な東洋の宗教的感性と、創造神が歴史の主催者としての意図を持つという直線的な西洋の宗教的感性の両方を併せ持っています。
本山博神学の要諦は、
- 神の国の実現という意図を持つ歴史の主催者としての創造神の存在
- 本山博神学の三位一体説という世界観
- 神の真似としての超作を行うことによって霊的に進化するという実践論
と纏めることも可能と思います。
11/25のワークショップでは、本山博神学の論理的な三つの柱(「場所の論理」「精神と物の相互作用という創造論」「修行の論理」)について解説します。― 「場所の論理」と「修行の論理」は本山博神学の出発点である博士論文*にも書かれていましたが、「創造論」は博士論文の時点では問題意識だけがありました。御神言によって導かれた本山博神学の変容は、この「創造論」の深まりそのものであったとも言えます。その深まりとともに、「場所の論理」と「修行の論理」も変容していきました。この難解な内容を可能な限り優しく解説していきたいと思います。
また、その際には今回触れることができなかった仏教との関わりについてもお話ししたいと思います。
* 1958年に、東京文理科大学記念賞を受賞した「東西神秘思想の研究」という題の論文。
この論文は、『超感覚的なものとその世界』第6章「宗教経験と存在」の基になりました。
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